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デザイナーが「言葉」についてちょっと真面目に考えてみた

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こんにちは。白木と申します。デザイナーです。

前回はデザイナー採用担当者の目線でポートフォリオについてお話をしました(下記)。多くの方にご覧いただけき、「参考になった」というフィードバックもいただきました。ありがとうございました。

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さて、今日はもう少し抽象的なデザインの話をしようと思います(時間ない方はブックマークしてお時間あるときにお読みください)。お題は「デザイナーが「言葉」について真面目に考えてみた」です。

デザイナーに求められる能力は多様?

本題ではありませんが、デザイナーに求められることは実に多様です。デザインがそもそも統合的・領域横断的な性格であるため、周辺領域からの知識要請がとかく多いと日々感じています。

例えば椅子一つ作る場合、デザイナーはただ美しい形状を追い求めるではなく、構造力学、材料工学、人間工学の側面も考慮せねばなりません。また、製造現場とのすり合わせや(「それ型で抜けるの?」的な)、コンセプト落とし込みの調整役もこなしますし、場合によっては何が売れるのかをマーケティング側とすり合わせるところにも関与します。簡単なマーケティングリサーチの知識も必要とすることもあります。

Webデザインも同様です。このご時世、企画、マーケティング、エンジニアリングと無関係でサイトやサービスを完成させることはあり得ません。いずれの隣接領域に対しても越境的にディスカッションできる程度には専門知識を備える必要があります。

しかし、実際には私たちの仕事はこれらの専門的知識・知見だけでなく、その土台をなす非専門的な能力によって支えられているように見えます。むしろ非専門的な部分の方が実は支配的なのではと思わせるほどです(仮説)。

デザインの専門領域外で重要な要素とは?

では、専門領域以外の重要な要素とは何なのでしょうか?先ほどの仮説から言えば、それはデザイナーの仕事を考えればおのずと出てくる答えですが、先に私なりの結論を示すと以下の3点です。

  1. 言葉・概念
  2. 思考・洞察力
  3. 多様な経験

1は私たちが作ったものに文脈やフィロソフィー、説明を与えるために必要な要素です。2の思考・洞察力は特段デザイナーに限定される話ではないですが、デザイナーらしい思考・洞察力はあると私は思っています。3についてはデザインを生み出す原体験の多様さです。

紙面と時間の関係上、本日は1のみ整理しますが、2,3についても日を改めて整理できればと考えています。ということで以下「言葉・概念」についての考えを整理します。

デザイナーの仕事の特徴と言葉・概念

デザイナーは「抽象的なもの・ことを形にすること」を仕事にします。クライアントや企画の想い・意図を解きほぐし整理し秩序を与えながら形に変えていく生業です。ほかの職種と比べて対象テーマが感覚的・感性的なことが多く、ここがデザイナーの難しさの一つでもあります

さて、この感覚的・感性的なテーマに向かっていく中で、言葉・概念という武器が少ないとクリアが難しくなるというわけです。

言葉・概念が対象テーマの的確に把握できない

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まず言葉・概念の扱いがうまくないと、対象テーマを正確・的確に把握しにくくなります

例えば「信頼感を醸成したい」というテーマがあったと仮定します。この場合、普通は「信頼感とは何か」を考え「誠実」「落ち着いた」などの言葉に至るのですが、本当に表現すべきことが「内省的な印象を備える信頼感」であった場合はどうでしょう。デザイナーが「内省的」という言葉・概念を知らなかった場合、どうなるのでしょうか。的確にテーマを捕捉しえるでしょうか。

サピア・ウォーフの仮説*1ではありませんが、適切な言葉を持ち合わせていない中で曖昧・複雑なことを的確にとらえることはおそらくは困難です。先ほどは「内省的」という発見されやすい例を出しましたが、実際の現場ではもっと面倒でわかりにくいケースがゴロゴロしています。これらを形にするのに、それを表現できる言葉が少なくては、落とし込みにに膨大な時間とコストがかかるか、結構な量の情報が落ちてデザインの精度が下がるかです。

言葉・概念によるデザインの背景・哲学を形成が困難になる

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次にデザイン説明時にも問題に遭遇します。

何かしらのデザインができた時に、デザイナーはそのデザインに至った背景や理由の説明責任を負います。デザインの対象は感性的であることが多いため、そもそも説明コストは高いのは当然です。が、仮にデザインしたものが企業ロゴなどであったら、感性的な要素だけでなく企業のフィロソフィーすらもデザインに乗せることになりますから、それをどう言葉に落とし込むかは能力の求められることろです。

ただ、この点においては反論もあって、そもそも言葉を必要とするデザイン自体が問題なのではないかという指摘です。これは一理あります。言葉を必要としないように直感的なものを指向することも選択肢としてはあります。しかし、説明が不要かどうかを決めるのは提案するデザイナーではなく、それを受け取る側に依存しますから、依然説明ないし言葉は必要であると考えるのが自然です。

また直感的に理解し得るものであってもデザインに込められたフィロソフィーをどう伝播させるかという観点から言えば、伝達媒介としての言葉はやはり重要でおざなりにはできません

言葉をなくして観察ができるか

物事を観察するときにどこまで精緻に記憶・記録できるかは、観察の分解粒度と的確な言葉の利用が求められます。

昨今では「かっこいい」で表現できる幅が随分と広がりましたが、あらゆるものを「かっこいい」と評してしまうと、一体何が恰好よく足らしめているのかは解らないままです。色なのか構図なのかプロポーションなのか時代とのギャップなのか。観点は多様で、その観点を説明する言葉もまた様々です。日常の軽い会話であれば「すごい」「かっこいい」でもいいのかもしれませんがデザインを説明する時、またデザインを学習するときは、細かい部分にまで言及し的確に表現することが重要なのは自明のように思えます。

高尚な言葉・概念を使えばいいわけではない

さて、ここまで言うと「かっこいい言葉使わないといけないのかな」と思われるかもしれませんが、そんなことは全くありません。あくまで的確な言葉を探すこと・身につけるです。それもきちんと共感を得られる言葉、もしくは少しの学習で理解可能な言葉の中で、です。

かっこいい言葉を使うことは、排他的な面があります。専門家が専門用語で話している中に素人が入り込めないのと同じように。もしそういった高尚な言葉を使いたいのであればそれが通じる人との中でだけ使ってください。わからない人に対してひけらかし的に使わないよう心掛けてください。ひけらかしとして使うのは却って底の浅さを映すことになります。

説明くさくあれと言っているわけではない

また、ここまで言うと「随分と説明くさくしなければならないんだな」と思うかもしれませんが、それも意図しないところです。飽くまで問題の本質をとらえるために言葉が大事だとご理解いただければと思います。必要な時に必要な量の的確な言葉を出せるようになることと、物事をより正しく理解するために言葉が重要なのであって、説明的であることは重要ではありません。

最後に

デザインを的確に行い、その意図を理解してもらうことは、とりもなおさずデザインという世界そのものの理解を広げることと同義だと思っています。そのために私たちは言葉を身に付け伝え続けなければならないと改めて認識します。そこを怠り、デザイナーらが自身ら身内の言語に満足して外に向けての説明を放棄してしまうことは不信感を助長し、象牙の塔の印象をもたらすだけでしょう。そのような業界に未来はありません。

デザインとは相手とのインタラクティビティによって生まれてきます。そこでのコミュニケーションを語る前段として、まず良いコミュニケーションを行うための道具磨きが必要であり、それが豊かな言葉の獲得なのです。 日々の作業に追われているとWeb上のノウハウの収集ばかりに終始してしまいがちですが、たまには立ち止まって自分の言葉磨きなどもしてみるのはいかがでしょうか*2

*1:サピア=ウォーフの仮説

*2:ちなみに私は言葉磨きのために自分の考えていることを実際に紙に書いてます。それだけでも言葉がだいぶ使えるようになります。

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